自動翻訳もここまできたか

NTT ドコモとか NEC が、携帯に話すことで自動翻訳できる機能やソフトを提供または開発したようですね。NTT ドコモの方は英検準一級程度の実力とされていますが、どうなんでしょうか? 誰か知り合いで最新機種を持ってる人、いないかなぁ。ちょっと試してもらいたいもんですね。

一方、NEC の方はあちこちで紹介されいて、実際に翻訳された文が載っています。中でもケータイ Watch というサイトでは、クリックすると大きく表示される画像付きで紹介しています。

→ 紹介記事「NEC、携帯向けの日英自動翻訳ソフト開発

記事では、「ホテルから空港に行くバスの中にパスポートが入った鞄を忘れました」という日本語を「I left a bag with the passports on the bus which goes from a hotel to the airport」と訳している画面が掲載されてます。

この訳のツッコミどころはいくつかあるのですが、それは (ケチをつけるだけになるので) 置いておき、携帯電話の内蔵機能だけを使って、しかもわずか1〜2秒でこの訳を表示できるのはすごい技術だと思います。少なくとも、言いたいことは伝わる英語になってますね。

日本人以外の非ネイティブの英語なんて、大抵はこんなもんで、それでもちゃんと伝わってますよ (日本人は喋れなくなってしまうけど)。旅先で、ちょっとしたコミュニケーションを取りたいだけなら、これで十分でしょう。

NEC のこの技術がすごいところは、NTT ドコモのようにサーバーにアクセスして変換させるのではなく、個々の携帯端末上だけで翻訳を行ってしまうところでしょう。当然、電話代もかかりません (ソフトウェアの代金は必要でしょうけど)。



こうなると、「翻訳者や通訳者は要らなくなるのでは?」という考えが頭をよぎる人も少なくないでしょう。実際、この自動翻訳があれば、海外へ一人旅をしたり、英語ができない人だけのグループで海外のいろんな所に出かけることも可能になるでしょうからね。

たぶんそのうち、携帯のカメラで英文を読み取らせて、それを日本語に変換したり、読み上げてくれる機能もできるんだろうなぁ。通訳だけでなく、翻訳そのものもできちゃう携帯が登場するのだって、そう遠くない先のことでしょう。



しかーし、翻訳や通訳の仕事は当分なくならないと思います。少なくとも「プロ」の仕事はね。だって自動翻訳というのは、あくまで字面を解析するだけの機能であって、その裏の意味とか、省略されている文化的背景なんかまでは読み取れないわけです。

例えば、日本人と韓国人と中国人が英語で話しをしたとします。この時この3人は、同じアジアでの歴史的認識を (意見の違いはあれ) 共有している、または相手国における文化的な認識を理解しているので、そういう文化的な補足をしなくても (=省略しても) 会話が成り立ちます。

さてここで、アメリカ人やカナダ人、またはヨーロッパの人達が会話に入ってきたとします。そしてこの人たちは、アジアに関する知識や認識があまりないとします。

この場合、欧米人の彼らは、日本人と中国人や韓国人の会話で (英語の問題ではなくて内容的に) 分からない部分が出てきます。逆にアメリカ人とカナダ人との会話の中で、アジア人には理解できない部分もあるはずです。

こうした文化的背景の違いから生じる言葉の表現の差異は、字面だけ追っていても見えてきません。そしてプロは、そういう部分まで考えたり調べたりして訳しているので、機械にはできない大胆な訳を生み出せるのです。

具体的に言うと、日本で知られているドラえもんや寅さんの話をしても欧米人にはよく分からず、カナダで誰もが知っているテリー・フォックスやガバナー・ジェネラルの話をしても、日本人にはちんぷんかんぷんってことです。

もう少し例を挙げると、日本人なら「源氏物語」とか「お坊さんの袈裟」とか「七五三」とか、その言葉だけで意味を理解できますよね。でもこれを単に自動翻訳させたらどうでしょうか? 自動翻訳された英語で、欧米人はその意味までも理解できるでしょうか? それは無理ですよね。それを補いつつ、原文にかかれた以上の付け加えにならいような訳を行うのが、プロの翻訳というものなんです。翻訳の鉄則というか、プロとして求められていることは、「何も足さない、何も引かない」であって (ウィスキーのことじゃないですよ)、かつ「読む人が理解できる文章を書く」ことなんです。


んー、ちょっと自我自賛的な部分もありますが (すみません)、要するに言葉というのは、単語の意味や文法を理解していれば「できる」というものじゃないってことです。その言葉が生まれた過程やその言葉に含ませている意味を読み取るには、膨大なリサーチと経験の積み重ねが必要になってくるんです。それと、ある種の勘とか感性みたいなものも必要ですね (でも勘も感性も、努力で身に付けられるものです)

そのため今の機械のレベルでは、プロの翻訳者や通訳者と同等の訳を実現するために、かなりのリソース (馬力なり電力なり) が必要になります。そしてこれはとても「高く」つきます。劇的な技術革新がもっともっと進まない限り、お手ごろな値段でプロ並の翻訳や通訳を簡単に利用することは難しいでしょう。



とは言え、チェスの世界では既にコンピュータが人間に勝利してます。もちろんこれは、単純な計算を高速に行えばいいだけの話なので翻訳と比べることはできませんが、いずれは翻訳の世界でも、人間並みの処理を瞬時にこなしてしまうソフトやロボットができるでしょう。

プロの翻訳者がやっているリサーチや経験の積み重ねは、結局はデータの蓄積ですからね。容量とスピードさえ十分なものになれば、例え感情は持たなくても、機械の思考力が人間のそれを超える時がいつか来るはずです。

でも、そんな時代がきたら何かちょっとさみしい気もしますね。翻訳や通訳をする人は、いわば昔かたぎの職人のような存在になってしまい、「文化遺産として保護しよう」なんてことになるのかなぁ。そして、こういう翻訳者が書いているブログなんかも、21世紀まで存在した職人の気持ちを理解するための資料として使われたりして。。。

(でもそうだとしたら、もっとマシなこと書かなくちゃダメじゃん! こんなブログじゃ、ちょっと恥ずかしいじゃん!)