言葉のうつろひ

「句読点」をマイペディアで引くと、次のように書かれています。

文の論理的関係を明らかにし読みやすくするために,段落や終止を示す表記上の符号。くぎり符号とも。句点(。),読点(、),横書きの場合のピリオド(.),コンマ(,)など。日本では平安初期,漢文の訓点に始まり,江戸時代に一般化した。


岩波国語辞典では、「句読点」ではなく「句読」として、次のような説明があります。

(1) 文章の句切り方、読み取り方。「―を誤る」。もと、文章の切れ目切れ目。_「句」は文の、「読」は文中の切れ目。(2) 「句読点」の略。 −てん【―点】句点と読点(とうてん)。句切りの符号。


Wikipedia によれば、「1951年(昭和26年)に『公用文作成の要領』が第12回国語審議会で議決、および建議され、翌年1952年(昭和27年)に各省庁に通知された」そうです。最近は縦書きと横書きとで英文記号 (カンマとピリオドなど) が使われる場合もあるものの、それよりもずっと前から、基本的な使い方の違いはなかったと思っていました。

句点は文章の終わりに使い、読点は文中の切れ目に使う。そして、一般的に文末に何もつけないことは、詩や箇条書き、冠婚葬祭の礼状、賞状などの場合を除いてない、というのが、ずっと昔から決まっていたことだと思っていたんです。

しかーし、前述の『公用文作成の要領』が昭和26年に議決されるまでは、今とは少し違う使い方をしていたようなんです。逆に言えば、現在当たり前と思っている句読点の使い方は、案外歴史の浅い規則なんですよ。

そんな馬鹿なって思うかも知れませんが、昭和24年の新聞記事を見ると、たしかに句読点の使い方が現在とは違ってるんですよ。

ほれ↓


昭和24年7月24日付け南日本新聞1
昭和24年7月24日発行の南日本新聞 左側

昭和24年7月24日付け南日本新聞2
昭和24年7月24日発行の南日本新聞 右側


これは昭和24年7月24日付け南日本新聞 (鹿児島) のコピーです。何でこんな古い新聞のコピーがあるかというのは、Riko さんのブログのこの記事あの記事で書かれているように、ある絵をめぐっての謎解きの旅があって (まさに現代のダ・ヴィンチ・コード!)、そのついでに新聞のコピーを頂いたからなんです。で、このコピーで当時の仮名遣いなどがある程度分かります。

そして一番気になったのが、先ほどからしつこく書いている「句読点」の使い方です。いいですか、よーく見てくださいよ。ほら、句点 (。) がないでしょ! 文末の区切りには全部読点 (、) が使われていて、段落末には何も付いてないんですよ。

でも、これは必ずしもそういう厳密な規則があった訳ではないようで、一部を拡大して見ると、たまに段落末に句点があったりします。


句点
たまに句点もあります。


一応新聞社ですから、いい加減な使い方はしてないはずですよね。文章に方言が使われている感じもないので、標準語が用いられていたと考えてよさそうです。ということは、これが一般的な日本語の書き言葉だったのではないかと考えられます。 (あ、すいません、他の例を調べるなんて気の利いたことはまったくしてないので、見当はずれかもですけど。)

でも、全て読点だけで済ましてしまい、段落末は何もつけずに改行すればいいということになれば、確かに句点は不要ですね。これは活字を組む時に少しでも手間を省けるようにという考えからなんでしょうか。当時はまだ洗練されていない活版印刷の時代ですから、活字を組むのは相当大変だったはずです (印刷会社で働いたことがあるのでよく知ってます)。すべての句点を省略できれば、これはかなり楽になるし、刷り上るまでの時間やインク代も圧縮できますからね。

逆に、紙面を最大限に使いたいのなら、改行ではなく句点を使って少しでも隙間を埋めた方がいい訳ですから、敢えて句点を使わなかったと考えることもできます。つまり、当時はまだ記事が少なかったら、(作文の宿題で子供がよくやるように) 改行で行数を稼いで紙面を埋めいたのではないかという考えです。 (← たぶんそれはないだろうけど /笑)

同じ日本語なのに、句読点の使い方1つで随分感じが違うものです。まあ、最近は絵文字がよく使われますから、話し言葉だけでなく書き言葉でもいろいろと変化してきてるってことでしょうね。



さて、この南日本新聞の記事には突っ込みどころが満載なんですが、他に2つほど挙げてみました。まずはワンピースの作り方です。


ワンピース
これでワンピースを作りましょう


裁縫のことはよく分かりませんが、寸法が一切書かれていないこの潔さは、さすが九州人です! (えっ?) これで見事にワンピースを作り上げた方がどれだけいたのでしょうか。九州が誇る歌手、俳優、タレント、そして作詞家の武田鉄矢が生まれたこの年、九州の女性は、素敵な才能を発揮されていたようです。 (いや、武田鉄矢は何の関係もないですけど。。。)

それから、桜島の絵 (前出 Riko さんのブログに詳細あり) の下に書かれている、「健康でよい習慣を」という記事の参考例として小学一年生向けに書かれた内容にも注目です。


良い子の規則
夏休み中に身に付けさせたい、小学1年生向けの指南

a quickr pickr post

「一、起床と終身」では、「(ホ) 寝るときの正しい姿勢」なんて書かれています。勝手に好きな格好で寝てはいけないんです。敵が襲ってきてもすぐに刀を抜けるように、いつも身構えた形で寝てなくてはいけないんですよ、きっと。

「二、食事」では、「(二) 嫌いなものを好きになる方法と勇気」なんてあります。好き嫌いをなくすには、勇気が大事だったんですね。

「三、衣服」でも、「(ニ) 汚れたものは母に相談して自分で着替える」なんて素敵なことが書かれています。はい、父親とか兄弟姉妹に相談してはいけないし、着替える場合も母親の許可がない限り我慢しないといけないんです。いいですか、母が「汚れてない」と言えば、それは汚れてないんですよ。

そして極めつけは、「四、よい習慣」の「(イ) 朝の排便」です。朝しかいけないんですよ! 夏休みには、この習慣を身に着ける練習をしないといけないんですよ! よい子のみなさん、分かりましたか?

とまあ、新聞でこれだけのスペースを取って書かなければならない大事な規則が並んでいる訳です。ちなみにこの新聞、2つ折りの (裏表で) 4面だったとかで、その中ではかなりのスペースを割いていたことになります。躾などが厳しい時代だったのでしょうね。



まあ、このところ収入という意味で転職を模索しているとはいえ、文章に携わる仕事をしている身としては、たった1枚の紙面からたくさんのことを学ぶことができ、言葉の面白さに改めて気付かされました。コミュニケーション手段が多様化し、それに伴って言葉や言葉遣いが急激に変化する現代は、何もかも急ぎすぎているような気がします。

今は大量の情報を処理する必要に迫られているだけに、統一された分かりやすい言葉の使い方が必要とされているのは明らかですが、言葉の持つ個性が失われ、そこに垣間見えるユニークな文化や考え方も隠されてしまっていくように思えます。何か、さびしい気がしました。

なんとなく、学級新聞を思い出して感傷的な気分になってしまったような、ならなかったような気持ちになりました。 (笑)