裁判員制度と陪審員制度

知り合い方のブログに、カナダの陪審員制度に関する面白い話が書かれてあり、それに触発されて、日本の裁判員制度陪審員制度の違いについてちょっと気になる点を取り上げてみました。裁判員制度についてはもともと気にはなっていたので、この際、問題になりそうだなーと思うことを挙げてみました。

日本の裁判員制度と北米の陪審員制度は、似ているようで、かなり違いがあるようです。北米の陪審員制度では、評議・評決が陪審員だけで行われ、事実認定のみを行い量刑は裁判官に任せ (ただし賠償額は陪審員団が決定)、評決は全員一致でなければなりません (最近は例外もあるようです)。また、評議中はホテルなどに缶詰状態になり、外部とのコンタクトは一切できなくなります (当事者からの接触や買収を防いだり、身の安全を確保すると共に、TV 報道などによる部分的・恣意的な情報に惑わされないようにするためと思われます)。

さらに、評決に至った理由は開示しないことになっているため、法と矛盾する結論が出る場合もあります。また、専門的な知識がないため、被告に対する一般的な印象で結論が左右されてしまう危険性もあります (自国企業対外国企業の裁判の場合、自国側に有利な判決を出してしまうなど)。

これに対して日本の裁判員制度は、裁判官を交えて評議・評決を行い、事実認定とともに量刑の決定にも関わり、評議中であっても途中で帰宅することさえ可能です。このため、安全面や秘密漏洩、外部からの情報コントロールなどが懸念されます。この辺りについては、裁判所はどう対応するのでしょうか?

また、判決に際しては、評議が裁判官を交えて行われることから、評決に至った理由はすべて開示されることになるでしょう。素人が多数を占める評議で出された最終決定について不満がある当事者は、その理由を根拠に控訴、上告などを行う可能性もあります。それが本来の罪状からかけ離れたところで問題になったり、次の裁判を有利にする材料として利用されたりしないのか、個人的には気になります(アメリカの O.J.シンプソン氏の裁判で人種問題が判決を左右したように)。

こういった大きな違いがあるのに、国民のほとんどは外国の陪審員制度と似たようなものとしてしか認識してないと思われます。そして、手本の1つとしてきた陪審員制度そのものについても、ほとんど知識がないのではないでしょうか。これでは、いつ自分が裁判員になるかも知れないと不安を抱かせるだけで、多くの人がしり込みしてしまうのではないでしょうか。



ここで、どちらの制度が優れているかを議論することにはあまり意味がありません。それよりも、どのようにこの制度を運用していくかを考えるべきですが、残念ながらそのための準備がきちんとなされてないように思えます。法制度の整備については、国や弁護士会などが必死に作業を進めていると思いますが、そういう取り組みとは別に、国民が裁判員として評議することに備えて、数人のグループで議論を行うという体験を (学校などで) 積む必要があると思います。

議論に慣れていない日本人をいきなり裁判制度に放り込むことに無理があると思うんです。

欧米では、例えば高校や大学での授業で意見があれば、生徒はどんどん発言します。ちょっとした冗談や疑問点なども、遠慮なく先生に話しかけます。日本のように、手を挙げたり、先生に指された人が発言するのではなく、まるでカフェで雑談するような感じで授業が進行します。こういう環境で育っているので、自分の意見を人前で言うことに臆することがありません。一見気気弱そうな生徒でも、結構発言したりします。

それに対して日本では、例えば大勢の意見と違う考えを持っていた場合、それが「変だよ」と言われるのが嫌で黙っていたり、納得できなくても「まあいいや」と多数意見に同調してしまう場合が少なくありません。「出る杭は打たれる」社会であり、寡黙が美徳とされる文化なのです。これでは、人の人生がかかっている裁判が公平で本来の目的どおり行われるか、疑問でなりません。



裁判員制度を導入する前に、まずはテストケースを数年間続け、それに平行して学校の授業などで発言する機会を増やすような取り組みに着手したり、グループ討論を取り入れるなどの措置がどうして取れなかったのでしょうか。政治家や官僚の間では、いいことだけを宣伝し、後の面倒なことは現場に丸投げしてしまうというのが最近の流行りで、裁判員制度もやはりそういうことだったんでしょうか。



11月末から、すでに裁判員候補の通知が届き始めていると聞いています。この制度を今更中止または延期することは恐らく無理でしょうから、せめて候補者から最終的な裁判員を選ぶ際には、きちんとした意見を主張でき、責任感があり、様々な思想が偏らない人々で構成されるように細心の注意を払ってもらいたいものです。

カナダのように、(本当かどうか分かりませんが) 人選が服装で大きく左右されることはないでしょうが、どのような基準で選ぶのか、明確なガイドラインを持って欲しいと思いますね (詳細を開示するのは問題もあるかと思いますが)。それだけでも、候補者の不安をいくらか和らげることになるのではないでしょうか。

結局、「裁判員になる人に対する心のケア」が、まだまだ未熟な制度のように思えます。