勝者と敗者の間

気が付いてみると、もう20日近くもブログを更新してませんでした。そのうちの半分以上は仕事が忙しくて手が回らなかったんですが、残りは書く気力がなくなってしまったというか、調子が出ないという感じでした。いや、パソコンの調子も悪くて、予備のパソコンをどうするかいろいろ対策を練っていたりもしたんで、それで手一杯だったという方が正しいかも知れません (まあ、言い訳には違いないですね)

それなのに、毎日それなりにチェックしてくれている方がそこそこいらっしゃいまして、カウンタの数が増えております。ありがたいことです。更新してないのに期待して見てくれているあなたは、Deja のハードコア・ファンですね (とっても嬉しくなさそうな顔がたくさん見えますよ/笑)



さて、この間の日本のニュースを見ると、「消費者がやかましい」発言だとか、不祥事を起こした職員の再雇用を当たり前のことのように説明する NHK とか、あまりにも情けないものが多くて、書く気も薄れてしまいました。正確には、ちょっと書きかけたんですが、書いている自分が馬鹿らしく思えてきてしまって。。。

また、村上ファンド元代表村上世彰被告は、無罪を主張したらしいですね。自分の思い通りにするためには手段を選ばず、勝つため、金のためだけに平気で人も組織も切る人間が、自分が負けた時にはなんてみっともない姿をさらすんでしょうか。

ホリエモンも問題ありましたが、彼は自分の事業を成功させようと思っていた分だけ実業家としての熱意がありました。でも村上被告は、金儲けのことしか考えてない。こういう人が会社を乗っ取って、社会へのサービスという姿勢や、長期的な雇用の安定など、企業の持つ意味を変えてしまったんです。その結果、本当の競争力がつかない体質の企業が増えてしまった。

一部の人の利益のためだけに存在する会社。そして、利益さえ出せばいいと考える会社。そんな会社ばかりです。一番大事なのは、人材であり、顧客であるはずなんですがね。人材も、安く使って要らなくなったらすぐ捨てられる派遣やパートに頼り、品質を上げる努力をするどころか、偽装して消費者を騙してでも儲けようとする経営者たちがたくさんいます。企業としてというか、保身のために生き残る=競争に勝つことがすべてになってしまったようですね。



ただ、こういう「勝てば官軍」のような考え方は、実利の世界だけじゃないようです。オリンピックでも、勝者が賞賛され英雄視されるのはいいとして、敗者をなじったり責める姿勢はどうかと思います。

北京オリンピックで勝てなかった選手は、出場者のほとんどです。勝つ (=金メダル) のは一人 (または一つのチーム) だけで、あとは負けです。ここまでくるには、どの選手も一般の人には想像もできない程の努力をしてきた訳です。直前に怪我をしてしまい出場できなかったとか、スタートを切る直前に自ら競技場を去った選手、わずかなミスのために一瞬にしてメダルを逃してしまった選手は、誰かに責められるまでもなく、大きな落胆と自責の念で張り裂けそうな思いに苛まれているはずです。

確かに、ふがいないと思える戦いぶりの競技もありましたが、重圧の中、自分をコントロールできなくなってしまったとしても不思議ではありません。むしろ、そんな精神状態の中で逃げずに競技を行った選手たちには、やはりオリンピアンとしての凄さを感じます。選ばれし者の試練なわけですよ。それを非難する人がいるということに、ちょっと驚きました (日本人は少ないと思いますけどね)。

ただ、メダルを投げ捨てたり、審判に暴行を加えるなど、五輪精神に欠ける行動が見られたことは残念です。また、これまでも数限りなくあったように、ドーピングで失格に至った選手が少なからずいたことも残念でした。しかしこれは、その選手だけを責めるのではなく、そこまでしなければならない状況に追いやった国家や商業主義も含めて、考えていくべきだと思います。結局、ドーピングをした選手は被害者でもあるんですから。



今回、日本はアテネの時に比べると惨敗という感じさえしますが、世界を驚かせる活躍を見せた選手も出ました。フェンシングや陸上男子4x100mリレーでのメダルなど、カナダやアメリカのテレビでも驚きをもって伝えられました。全体としても、世界で10位に入っているのですから、体格的な条件を考えれば決して悪くはないはずです。

一方カナダは、15日 (日本の16日) になってようやくメダルを取りました。その後はそれなりに勝ったんですが、メダルを取れなかった日まで、決して選手を責めるような言葉は聞かれませんでした。あまり勝ち負けにこだわっていないというか、あまりに無頓着と言った方がいいかもしれませんが、本来オリンピックはこうあるべきだろうなとも思いました。



今回のオリンピックでは、中国が圧倒的な強さで一人勝ちしました。しかし、中国の国民がそれで本当の意味で強くなり、一体感を味わい、次の時代につながる何かを得られるんでしょうか。競技場の周辺で生活の場を追い出された人たちや、北京から遠く離れた地で弾圧を受けた人たち、外国の記者にまで暴行を加えた当局の行為、そして聖火リレーでは世界各地で妨害されるなど、かえって中国の問題を世界にさらけ出してしまったようにも思えます。果たして、次に中国でオリンピックが開かれることはあるのだろうかとさえ思えてしまいます。

一方、先進国の中でひときわメダル数の少ないカナダは、そんなことを卑下するような感じもなく、次回バンクーバー五輪の開催国であるプレッシャーさえあまり感じていないようにも思えます (これはちょっとまずいと思いますが)。北京のような派手さを演出することは不可能ですし、市民としてはそんなことで生活を圧迫されたくないですから、淡々と無事に済ませてもらえればと思っています。

でも、この違いはいったい何なのでしょうか。勝者中国から見れば、カナダの今回の実績なんて鼻で笑うようなものかも知れませんが、果たしてどちらが幸せなんでしょうか。そして、日本はどちらの国に近いんでしょうか。

勝者と敗者の間は、本当にそんなに大きな違いを持つべきなんでしょうか。そして、今回のオリンピックでの、本当の勝者は、いったい誰だったんでしょうか。