性別による能力差を議論することの無意味さ

先日、「人気ブログって引用が多い気がする」ってな記事を書いたのですが、別にそれとは関係なくですね、他のブログを引用しちゃいます。はてなダイアリーのトップページで「注目の記事」として紹介されていた、tama32 さんによる「女性の数学能力」という記事です。

===引用ここから===

チームによると、2002年以降に義務化された全米一斉試験で、日本では小学校2年生から高校2年生に相当する児童・生徒約700万人分の数学の成績を10州から入手し解析。その結果、女性が勝っている学年の方が多かったが、男女差は極めて小さく、統計上有意な差はなかった。
「女性は数学が苦手」は根拠なし(nikkansports.com)

数学が得意だと「女性の割に、数学ができるね」と言われ、不得意だと「やっぱり女性だから、数学が苦手だね」と言われる。そういう言われ方がなくなるとよい。科目の得意不得意は、個人差によるものであって性差じゃない。

===引用ここまで===

(ちなみに前半部分は日刊スポーツ紙の記事で、後半部分がこの方の感想です。)

まったくもってその通りかと。数学とか物理とか、もちろん他の教科についても、実は男女で能力差なんてないと思ってます。差があるのは、興味があるかどうかじゃないかって。

男女で能力の差、つまり脳の仕組みが違うことは、生理学的にも解剖学的にも明らかになってますが (体のつくりが違う以上当然ですけど)、仕組みが違うからといって、そのまま普段の能力に大きな差が生まれるわけじゃないと思うんです。

人間はかなり巨大な脳を持っていますが、普段活用している部分はほんのわずかで、大部分は眠ったままです。確かに、持っている能力を最大限活用しているのなら、男女で分野ごとに大きな能力差が現れるでしょうけど、大して使っていない脳で切り出された部分的な能力を見て、これが男女差だと言うのは無意味な議論です。

結局、どれだけ自分の持っている潜在的な能力を引き出すかによって、その人の「見えている能力」が問われるのであって、その能力が引き出されるかどうかは、多分にその分野への興味の強さに影響されるんだと思います。



では、数学とか物理学に対して、果たして女性は大いに興味を持っているでしょうか? たぶん、一般的には男性ほどじゃないと思います。それは能力差とは無関係です。では何故男性より女性は興味が薄いのかを考えると、例えば、数学に興味を持ち、その方向に進むことが自分にとって有利なのか、有益なのかってことに関係してるんじゃないかと思うんです。

例えば数学者とか、数学の先生になることを考えます。すると、男の場合は、力があればその世界で食っていくこともできるだろうって考えることもできます。夢なんだから、頑張ろうなんてね。

では女性の場合はどうかというと、現実に照らして、結婚やら出産やら、女性が少ないが故にその世界で直面するであろう困難さなどがまず先に思い描かれるんじゃないでしょうか。純粋にその世界や夢に向かっていくことは、男性よりも多くの犠牲を払わなければならない覚悟がいるでしょう。となると、もっと無難に結婚やら、結婚できなくても生きていけるような、実利性の高い道を模索する方が自然です。確率的に、そういう気持ちになることは多いと (男の側からしても) 容易に察することができます。

となれば、例えば彼氏にしたい人の興味を引くために料理を覚えたり、お化粧したりする方が、数学で頑張るよりも興味が強くなるってことかも知れません。その点、男は心配する要素が少ないので、割と思ったこと、好きなことに直結することを選びやすいんだと思います。(あくまで傾向があるって程度の話ですよ)

(でもそれが正しいとすると、大して興味のない数学で男子と同程度の点数を取れた女子は頭いいってことになりますかね。)



また、興味が出るかどうかも、環境なんかでも左右されるし、他にもっと惹かれるものがあれば、相対的に興味の度合いも変わって来ます。そして興味が (相対的に) 低いものに対しては、さほど努力をしないのが人間です。しかしそれが、あたかもその人の「本当の能力」であるかのように見られてしまう現実は、ちょっと残酷ですね。



まあそんな訳で、少なくとも現在活用されている脳の断片的な能力をもってして、男だから、女だから、という議論をするのは無意味なんじゃないでしょうか。男の側も、女性蔑視のような言い方は慎むべきだし、女の側も、そういう薄っぺらい議論に目くじら立てて張り合いのない相手に無駄な労力を費やすのは止めた方が賢明かと思います。