介護の苦労とリアル Dr.コトー

先日、医者と政治の堕落をなげく記事を書きましたが、今日はすばらしいお医者さんの話です。医者は本来、人命を助けるための尊い職業です。その使命のためには、多くの犠牲を払うことさえ臆さない、まさに人の鑑のようなお医者さんがいるんです。

ところで政治の方はというと、福田内閣の支持率が急降下して末期症状を呈している感じですね。しかも、民意なんて何のその、権力にしがみつき国や国民を犠牲にしてまでも悪法を強制採決しようとさえしています。

年金、医療、防衛、拉致問題など、何一つ問題を解決したものはなく、逆にどんどん悪化させていますよね。医者と違って、政治家には民意なんて本気で考えている人なんていないんでしょう。金と権力におぼれた悪の権化といったところでしょうか。



さて、「リアル Dr.コトー」とも言うべき、すばらしいお医者さんの話に入る前に、介護についてちょっと書きます。最近では、介護をされている方も多くなり、身近な話題になってきたと思いますが、実際に介護をするのと、頭の中で考えていることとは、まるで違います。

介護の大変さは、人生を一変させてしまうことも少なくないほどです。単に生活の変化だけではなく、精神的、経済的、肉体的な疲弊を伴うのです。

そこへ持ってきて、介護の大変さを聞かされると「でも〜でしょ」とか「〜すればいいじゃない」などとお気楽に答えてしまう周囲の鈍感さには、神経を逆撫でされるものです。介護と同じように、介護をしている人たちに対しては、周囲がもっと気を使ってあげるべきでしょう。



例えば、夜中に起きてきて話し相手になれとか、お腹が好いたからご飯が食べたい (=何か作れ) とか、高齢で介護されている方はよくそういうことで梃子摺らせてくれます。

また、高齢のため、ボケてはいないものの理解度が低くなっており、時計を近くに置いていても時間が分からないことがあるそうで、8時半まで寝ていてねと言い聞かせても、6時くらいになると「もう8時半なにの何で寝てるの?」と起こしにきたりします。

まだ6時でしょと時計をよく見せると一旦は引き下がるものの、数分するとまたお越しにきます。それが毎日毎日、365日繰り返されます。

この時、特に高齢の場合は、頭にきたからと怒ったり怒鳴ったりしてはいけません。萎縮してしまい、体だけでなく精神的な老化が進んでしまう可能性があるからです。

こういう場合、腹が立っても、仕事で早いから放っておきたくても、我慢して相手をするしかありません。もちろん日中はふらふらになりますが、それが介護なんです。

これを介護の経験のない人に話したとします。すると、大抵は「昼間寝ないようにさせれば、夜は (朝まで) おとなしく寝ていてくれるんじゃない?」と返事をするそうです。まあ、当たり前のような気もしますが、実は介護を1日中している人にとって、それはできない相談なんです。

なぜか? 介護をした人ならすぐ分かると思いますが、介護の経験がない人にはわからないでしょうね。

これは、特につきっきりの介護が必要な場合 (例え寝たきりではなくても)、昼間寝ていてくれないと、必要な買い物や役所での手続きでさえ一切できなくなってしまうからなんです。もし少しでも昼間寝ていてくれれば、30分でも買い物をする時間が取れる。他の用事で外に出ることもできる。自分も昼間うとうとすることができる。何より、自分の時間を少しでも作ることができる。だから、どうしても昼間は、少しでも寝ていてもらいたいものなのです。   (正確には、大概は昼間寝てしまうようなので、無理に起こしたりしたくないという感じでしょうか。)



もちろん、お金が有り余っている家庭なら、人を雇ったり、(一時的にでも) 施設や病院に預けたりすることで解決 (=楽) できますが、介護の基本は家庭でのお世話。病院や施設に預けると、一気にボケが進んだり、元気がなくなってしまいます。本人も、可能であれば自宅で過ごしたいと思うもので、施設にいる間、ずっと家に帰りたがっているお年寄りも少なくないそうです。また、他人に世話をしてもらうのは気詰まりになります。そうなると、お金をかけるか、家族が手間をかけるかのいずれかしかありません。

ちなみに施設に預けたり人を雇った場合、わずか4〜5年で介護や医療費などに1千万円近くかかるという計算があります。とても普通の人にはできることではありません。国や地方自治体による支援も (自民党が弱者切捨てを進めているので)、ないよりはマシですが、老老介護のようなケースでは生き残ることさえ難しい状態です。男手があればまだいいですが、女性だけで介護をしている場合には、体力面でもつらいものがあるでしょう。



ここまでの話は、実際に身内にいる92歳のおばあさんの介護を通して聞かされた話です。手すりを伝ってよろよろ歩くことはまだ何とかできるのですが、24時間、常に誰かがそばにいないと、転んで怪我をしたりしてしまいます。実際、自宅の医療用ベッドから起きようとして落ちてしまい、圧迫骨折で体の向きを変えることさえ痛くてできない怪我も最近しました。なので、常に何があっても対応できるように、誰かが傍にいる必要があります。

(なお、ベッドでなはく布団にしろという意見もありますが、それは人を起こすことがどれだけ負担になるかを知らない人が他人事だから言えることです。普通のベッドでは確かに危険ですが、でも医療用ベッドがどれだけ高額なものか、ご存知ですか? 介護をする人の負担を減らすためにはそれでも必要なのですが、それを今の医療制度では全額自己負担にしてしまう所も少なくありません。ひどい話です。)

圧迫骨折をした時、医者は入院を勧めました。でも、本人が自宅を離れたくないと言うし、以前病院や施設に少しの間預けたとき、めっきり弱ってしまったことがあること、そして相当な金額が必要なこともあり、自分たちの手で介抱すると決めたようです。そして、痛がっても、体が少しでも動くうちはベッドから降りて用を足したり、食事をしたりさせます。本人もつらいでしょうが、それを見ている介護側もつらいはずです。でも、それをしないと、寝たきりになるのはすぐです。

それがどれだけストレスになるかは、想像を絶するものだと分かりますね。

(ちなみに圧迫骨折の怪我は、数週間病院で安静にしている必要があると言われたにもかかわらず、自宅で頑張って介抱した結果、1週間もかからずに痛みがほとんどなくなったようです。医者もびっくりしてました。入院させていたら、いったいどうなっていたことか。)



このおばあさんの介護をしているのは、娘と、その娘 (つまりおばあさんの孫) の二人です (父親はいません)。近くに親戚はいるのですが、面倒がってほとんど世話をしません。それどころか、おばあさんのお金を狙っているんだろうなどと言いがかりをつけてきたりもしました。

それなら自分たちで世話をしてみろとおばあさんを預けたところ、3日で悲鳴をあげて戻してきたそうです (まるで物のように)。でも、介護とは実際、それだけ大変なものなのです。

そして、そうした介護がうまくいくかどうかは、介護者の忍耐だけでなく、介護医の先生にかかっている部分も大きいのです。



冒頭で書いたリアル Dr.コトーですが、ドラマのように外科医ではなく、ここでは介護医の先生のことを指しています。でも、Dr.コトーのように、自分の時間など構わずに、1年365日、24時間体制で対応し、元旦以外のすべての日に往診を行ってくれる、本当に頭の下がる先生がいるんです。

その先生はご夫婦でクリニックをやってらっしゃるのですが、身内の92歳のおばあさんは男の院長先生が看てくれてます。どんなに疲れていても、どんな時間であっても、具合が悪くなればすぐに飛んできてくれ、痛がっているおばあさんに「遅くなってごめんね、痛かったでしょう」とやさしく声をかけてくれます。

92歳とはいえ女性ですから、やはり男の先生に看てもらうのは恥ずかしいものです。先生はそのこともちゃんと分かっていて、丁寧に声をかけながら、申し訳なさそうに診療してくれるそうです。愚痴ひとつこぼすことなく。



こうしたすばらしい介護医がいてこそ、介護をしている人、そしてされている人が安心して、つらくても頑張って生きていけるのです。保険の点数を稼ぐために薬の名前も教えてくれないような医者がいる一方で、やはりすばらしいお医者さんもいるものなのです。

でも、それだけ献身的な介護医療をしていたら、先生も自分の体をいたわる時間などないでしょう。24時間体制の往診もしていることから、いったい何時寝ているのかと思うほど頑張っておられる、ただただ頭の下がる先生です。



でも、こうした状況を (金持ちしかいない) 政治家達が理解できるわけがありません。理解できないから、医療体制の充実化を阻み、ますますお金がかかるようにし、弱者切捨てて行き詰る人を増やしているんです。まったく鬼としか思えません。

政策面で直接医療制度を提供しているのは地方自治体であり、お金がないことは分かります。すべての介護家庭に十分な支援ができないのは、ある程度仕方のないことかも知れません。でも、それならばせめて、献身的な介護医を支えるようにしてもらいたいものです。

最後のよりどころである介護医が過労などの負担で倒れてしまったら、これ以上の悲劇はないでしょう。支持率が急落しても高騰する重油アメリカにを無料で配るための制度を整備しようとする政府与党、特に福田内閣は、医療費の負担増を国民に押し付け、どれだけの命を切り捨てているのでしょうか。そしてそれは、いったいいつまで続くのでしょうか。



介護について、介護をしている人や介護医について、もう少し国民から声を上げてもいいのではないでしょうか? もう、人殺しのような政治はごめんです。