付け焼刃の難民対策

第三国定住制度の導入に政府がようやく本腰を入れ始めたようですが、理由は「金を出すだけでは十分な貢献として評価されないから」という消極的なもの。苦しんでいる難民を助けたいという理念は全然見当たりませんね。

すでに国連側では、日本が第三国定住制度を導入した際、受け入れ態勢が不十分なために難民が孤立するのではないかという懸念を示しているようです。つまり、言葉や就労の問題対策がないがしろにされ、とりあえず受け入れればいいんだろうって考えの政府に苦言を呈しているわけです。

政府が導入を検討している新しい制度というのは、国民の間で十分に認識され、議論され、日本の文化・宗教・社会制度に組み込むための調査やシュミレーションが行われずに実施されることが多いように思います。例えば裁判員制度。これも、法制化された後になって、実はこういうことだったと知った人も多いと思います。

違う文化を持つ大勢の人が入ってくれば、そこには様々な「衝突」が生まれます。いい方向に進むものもあれば、悪い方向に進むものもあります。でも、その方向性は事前の準備によって大きく変えることが可能なんです。果たして、日本政府は、そうした準備を考えているんでしょうか?



難民と移民は違います。難民は、基本的には国を追われて、否応なしに他国での不自由な生活を強いられている人々を指します。これに対して移民は、基本的には自分の意志で他国に移住した人々を指します。

自分の意志で移住した移民は、そこでの生活に馴染めるよう、自分で努力する必要がありますし、それが求められます。移住先の国に、経済的な負担をかけるようなことは、本来あってはならないのです (努力したにも関わらず予期せぬ事態でそうなることはありますが)。

でも、それで万事うまく行くかというと、答えはノーです。移民で成り立っているアメリカとカナダは、文化・宗教の衝突による事件や事故が後を絶ちません。今もなお、深刻な社会問題となっているはご承知のとおりです。

アメリカとカナダでは、移民政策に大きな違いがあります。「人種のるつぼ」と言われるアメリカは、その名のとおり、移民してきた人たちにアメリカ文化への「同化」を求めます。アメリカに住む以上、アメリカの流儀に倣えという立場です。

具体的には、星条旗の下に「愛国心」を強く植え付け、国民 (移民も含めて) を1つにまとめることに成功してきました。強いアメリカを支えているのは、愛国心という「同化」政策の成果です。

しかし国際社会全体からみると、アメリカの愛国主義は度を越しています。自分達だけよければいい、自分達が世界の中心だ、そういう考えが蔓延し、他国を見下す風潮があります。もちろんすべてのアメリカ人がそうだとは言いませんが、その傾向は間違いなくあります。合計4年半の米国在住経験を通して、それを肌で感じました。



一方カナダでは、アメリカとは対極的な移民政策を実施しています。それは、同化ではなく「融和」です。つまり、それぞれが持つ個別の文化や考え方を尊重し、共生していこうという立場です。ファースト・ネーション (カナダでの先住民を指す言い方) はもちろん、世界各国から集まった人々が、それぞれの文化をそのまま持ち込み、1つの国の中でうまく棲み分けています。

もちろん、移民してきた国の人の規模によって、カナダでも影響力は異なってきます。白人系は割と仲良くやっていますが、アジア系は白人系から見下されていたりします。黒人は少ないのですが、アメリカのような差別はあまり聞きません。アメリカ独立戦争時の北部に近い場所だったからでしょうかね。

アジア系でも、中国や香港から大挙して移民が流入したバンクーバー周辺では、住民の半数近くが中華系という市もあるほどで、彼らの一部は完全に中国社会を再現し、カナダ文化への融合を拒否しているようにも見えます。単にカナダという土地を獲得したとしか見えないような感じです (チャイナタウンなど)。これも、共生という移民政策には限界があるということを意味しているのでしょう。



このように、自ら進んで移住してきた移民の場合でも、多くの問題が生まれます。それが難民になると、どういうことが起きるでしょうか? 難民の場合、少なくとも受け入れられてからしばらくは、自立して生活できるほどの収入は見込めません。その場合、経済的負担は税金から支払われることになります。

日本の場合、自分達の年金でさえまともにもらえるかどうか分からないのに、足りない財源の中から難民のためにお金を分けてあがることなど、断固として反対する人もいるでしょう。反対とは言わなくても、自分達の生活に不安を覚えたり、行き詰まる人もでてくると思います。

政府が、人を殺すためのアメリカの戦艦に無料で原油を差し出すということを止めれば、難民や年金のためのお金などすぐに補充できます。少なくとも、そういう活動の一部でも削減すれば十分でしょう。でも、首相は「ブッシュ大統領と約束してしまった」とか、当事国以外の国名を出すこともなく「国際社会から高い評価を受けている」などのいい加減な理由をつけて、税金を人殺しのために使おうとしています。

こういう政府に、難民をちゃんと受け入れる覚悟があると言えるでしょうか?



少子化が進み、このままでは年金制度が破綻してしまう日本は、現実的に移民や難民を受け入れ、働き手を増やす仕組みを考えなければならないと思います。移民や難民を受け入れている国は、アメリカやカナダだけではなく、欧米の有力な国はほとんど行っています。そして、それなりにうまくやっているんです。日本人も、そろそろ考え方を変えなければならない時期に来ているんです。

でも、政府、特に自民党や首相は、自分達の功績ばかり考え、国民を置き去りにし、市民生活をないがしろにしてまでも「豊かな国であるアメリカ」に無料で原油を提供し、「貧しくて苦しんでいる難民」には手を差し伸べようとしない。そういう事を国会で議論したり、国民に呼びかけるような努力もしない。国連や各国から言われたから、難民のことも受け入れなくちゃいけないのかなって、やっと検討し始めたような国です。ちょっとひどいと思いませんか?

違う国の文化や宗教を受け入れるのは、どんな形であれ、大変なことです。その規模によっては、国の制度や体系そのものを変えてしまうことにもなり得ます。付け焼刃の難民対策などではなく、もっと国民レベルで認識を高めてもらい、難民の立場にも配慮し、真剣に国会で議論してもらいたいと思います。

お願いですから、首相が責務を投げ出したり、人殺しのための原油提供のためになりふり構わず強引な法制化を目指して会期の再延長をしたりして、無駄な時間を割く前に、もっと大事なことを国会で議論してください。今の政府・自民党には、国を任せるだけの人間性を持った人は皆無です。「恥を知れ」とは、まさにこの人たちにぶつけたい言葉だと思います。



難しいことを言っている訳じゃありません。人殺しのために莫大なお金を差し出すのと、そうした人殺しによって生まれた難民を救うためや、生活に困っている人たちを救うためにお金を使うのと、どっちが大事かという話です。政治家というのは、どうしてこういうことが分からないんでしょうか。

こうしている間にも、生活苦で命を絶つ人だっているかも知れません。財産を失い、路上での生活を余儀なくされている人もいるでしょう。一方で、選挙カーのガソリン代をごまかしたり、贈賄で儲けたり、税金を使って視察旅行だと豪勢な宿に泊まったり、1円からの領収書公開をしぶって何とか誤魔化しの逃げ道を残そうとしたりする政治家がうようよいる訳です。

どれだけの人が、政治家を恨んで恨んで死んでいくか、恨みながら生きているか、自民党にはよく考えてもらいたいものです。