大人の議論
昔働いていた日本の職場で、こんなことがありました。
新しく派遣で入ってきた二十歳そこそこの男の子が、初日から毎日のように遅刻してきました。それもわずか数分。でも、慌てて駆け込んでくる気配もなく、あまり気にしてないようでした。
それが一ヶ月以上続いたある日、見かねた上司がその子をたしなめました。「●●君、ちょっと遅刻が多すぎるでしょう。ちゃんとしなさい」
すると彼は言い返しました。「▲▲さんだって遅刻するじゃないですか」
そうです。その上司の▲▲さんも遅刻の常連で、ひどい時は20分くらい平気で遅れてくる人でした。そのやり取りを聞いていた周りの従業員たちも、そうだそうだと思ったものです。そして、▲▲さんがどんな対応をするかと見ていると。。。
「わたしはいいの!」
▲▲さんは妙齢をかなり越えたキャリア・ウーマン気取りの主任でしたが (実際は社員の部下は一人もいなくて、周りが派遣やパートばかりなので、平社員では格好がつかないから主任にしてもらっただけなのですが)、その部署では自分が女王様でいるかのような態度を取る人でした。上司にはもちろん、所長にさえ口答えを当たり前のようにし、何でも自分が仕切らないと気がすまない人です。
確かに、▲▲さんの上司や所長がもっとしっかりすればいいのにと思うところはありましたが、どうヒイキ目にみても▲▲さんは分をわきまえてないとしか言いようがありません。そして、自分がしていることと同じことを派遣の子に言われたら、「わたしはいいの」と言い切りました。
▲▲さんにとっては、これが大人の議論なんです。
大人の議論とは何でしょうか? 感情的にならないとか、子供じみたヤジを飛ばしたりしないとか、空気を読んで話をするとか、互いの違う環境や思想を超えて対等な立場で話をするとか、そういう意味だと思うんですが、▲▲さんはきっと違う意味だと思ったのでしょう。つまり、「わたしは別格。あなたごときに文句言われる筋合いはないのよ。そのわたしがあなたに注意しているんだから、黙って従えばいいの。文句言うんじゃないわよ」ってな感じでしょうか。要するに、相手を見下しているだけですよね。
で、米国防総省がインド洋で海上自衛隊が給油した燃料の転用疑惑を否定したことについて、高村外相が「あれで十分なのではないか。米国が (対テロ作戦に) 全部使ったうち、日本から提供したのはほんの一部だと発表した。これが大人の議論だ」(朝日コムより) と述べたことは、▲▲さんの場合とあまり変わらないような気がするんですが、違うでしょうか? アメリカとの大人の付き合いが大事だから、大人の議論なんでしょか?
日本政府は、国民とアメリカと、どちらが大事なんですか? どちらの味方なんですか?
世論は明確に、米国艦船への海上自衛隊による給油を「ダメだ」と言っています。アメリカは、きちんとした証拠もなく (むしろ次々と見つかった転用を認めるような文書を非公開にしたりして)、「物は言いよう」という苦しい言い訳しかしてません。それを高村外相は「大人の議論」と呼ぶんですね。
つまり、国民の意見よりも、アメリカのご機嫌を取ることの方が政府にとっては大事で、日本政府は苦しんでいる国民を救うことや重税を和らげることや議員の不正を正すことなんかどうでもよく、「大人の付き合い」を優先させるべきだと本気で考えているわけです。
まあ、給油活動に反対する人を「テロだ」とか言ってしまう人が高官として政府にいるんですから、そのくらいのことは平気で言えるわけですね。
福田さん、あなたは安倍さん以上に国民をバカにしている政府を作ったようです。安倍さんは単に力不足で、国民の意識を全然理解してなかった。まだ経験不足だったという言い訳もできます。でも、福田さんはそんな言い訳できないですよね。それなのに、やっていることは安倍さん以下かも知れません。少なくとも、福田さんになって (悪くなったことはあっても) よくなったことって、未だに何もないような気がします。
そして高村外相は、「大人の議論」という言い方で国民をバカにしているんです。それこそ、分をわきまえてない発言じゃないでしょうか。大臣て、そんなに偉いんですか? 自分は別格だと思っているんですか?
日本をダメにするのって、何て簡単なことなんでしょうね。あー、早く大人にならなくちゃ。