教科書検定は誰のためのもの?

うー寒い。今日も気温は10度くらいで、雨が追い討ちをかけます。午後には一旦日差しも見えて暖かく感じたのですが、夜になったらまた寒くなりました。

夕べはあまりに冷え込んだので、とうとう暖炉の火を点けました。ぽかぽかですよ。もう、暖房なしでは生きられない体になってしまった。まだ冬本番はこれからなのに。。。

ああ、こんな雨の日でも、ゴミは処理されないんですよね。バンクーバーはアウトドアで働く公務員が6月からストやっていて、ゴミ収集なんかもほったらかし状態です。ゴミだけじゃなくて、図書館とか公民館なんかも全部お休み。子供達を預かるデイケア施設も公営の所は休みなので、子供のいる家は大変ですよ。

ちなみにカナダでは、12歳までは子供を一人にしておいてはいけません。子供だけで留守番させたり買い物に行かせたりしたら、親は逮捕されます。もちろん、学校の登下校も保護者が必要。だから、デイケア施設が閉まっているのは働く親にとって死活問題。でも、そんなのお構いなしで「給料上げろ」とピケを張ってストやってるんです。そういうところなんです、カナダは。

大人の都合で子供達も大変ですよ。

もうすぐハロウィーンですが、スタンレーパークで行われるはずのイベントも今年はストの影響で中止になるとか。子供達が楽しみにしていた年に一回のイベントが、やっぱり大人の都合で中止。可哀想な子供達。

何かね、大人は子供のこと、もう少し考えてあげるべきですよね。



またいつものように無駄話してしまいました。。。



最近政治とかの話ばっかりになってしまって、つい「語って」しまい、やっぱり基本的に男ってのは政治の話が好きなんだなーと、我ながら思ったりしてます。

ほら、酒飲んで会社の上司の愚痴とか言い合ってるうちに、だんだん会社そのものの経営だとか、業界だとかってスケールが大きくなって、必ず政治だとか「最近の若いもんは」「今の日本は」「世界の何たらは」とかになるでしょ。まあ、興味があるのはいいことなんですが、単なるヤジ飛ばしてるだけって気もしますけどね。     (反省)



で、今日も政治みたいな話なんですが (やっぱりね)教科書検定って、あまりに厳しくするもんじゃないと思うんですよね。国の方針ってものもあるだろうけど、思想信条まで押し付けられるのは嫌だ。あくまでガイドラインを示す程度にして、問題があれば第三者機関で協議すればいいんだし、教科書を選択する自由も必要。

ところが最近のニュースを見ていると、沖縄戦の「集団自決」について、検定した側が「見直しをするな」って言ってたりするじゃないですか。これ、「何様?」という感じがするんですよ。     (謝罪前のエリカ様って感じですか? でも謝罪したからエリカ様はいいと思うけどさ。ところでエリカ様ってどんな人? 海外にいると全然若手芸能人のことが分からなくて。。。)

だって、検定した方は、検定した時点で考えを押し付けている訳でしょ? それに対して「おかしいだろう」という意見を出すと、「新しい歴史教科書をつくる会」ってのが「検定制度の枠組みを外部の圧力によって有名無実化することになる」なんてかなり気声を上げる。これはつまり、検定内容が間違っていても何でも、
修正なんかさせない、外部の意見なんか採り入れない
って言ってる訳ですよね? 民主的な態度じゃないですよね? それこそ、民主主義を有名無実化することになるんじゃありませんか?



教科書検定というのは、昔からかなり批判されているものです。それを、一度検定したものは変えるなというのは、あまりに時代遅れ。ちょっと恥ずかしいと思わないんでしょうか。



まあね、教科書検定については、実は日本だけじゃなく、いろんな国でも問題があるんですよ。

例えば日本の教科書を批難している韓国。その国の教科書は、すべて国が作ったもので、検定どころか民間の意見を採り入れる隙間もない。   と聞いてます。     (違ったらごめんなさい)

また、アメリカではあまりに自由すぎて、州どころか群レベルでまちまちの教科書が使われているし、隣の学校で習うことと全然違うこともある。なので、高校から大学に進学する場合や、大学間でのトランスファーなんかにおいて、同じ名前の教科を履修していても、単位が認められなかったりすることすらあります。とても馬鹿らしい。     (昔アメリカでトランスファーした時、Sociology の単位が認められなくてもう一度受けたことがあったっけ)

それだけでなく、例えば高校の生物の授業においては、進化論を否定して、聖書の「アダムとイブ」が登場したりする教科書もあります。本気で科学の授業で聖書の内容を教えている学校があるわけですよ。政教分離を掲げているアメリカでね。     (アメリカ人の半分近くが、アダムとイブの話を心底信じている国ですからねぇ)



まあ、そんなわけで、教科書を自由に作りすぎるのも、検定を厳しくしすぎるのも問題があるということで、教科書作りは大変なんでしょうね。いや、一番大変なのは教師だろうな。毎年検定内容が変わったりしたら、現場は混乱するでしょう。先生が混乱してたら、生徒はもっと混乱する。そんな馬鹿げた状態が今の学校教育にはあるんでしょうね。

ここでも、
大人の都合で子供が迷惑を被っている。
ひどいもんです。教科書検定は、大人のためのものではなく、教育を受ける子供のためのものであるはずなのに。。。



科学においても、政治においても、いつも正解が1つとは限りません。だから、「こういう意見もあるし、別の見方もある」と教えて、判断は各自に任せるのが一番じゃないでしょうか? そうすれば、子供達が自分で考えて、自分で判断する力をつけることに繋がるし、日本人が弱い「議論」というものも活発に行われるようになると思うんですけどねー。



ま、検定をすること自体、議論させずに「洗脳する」ことが目的なんだろうから、そうはいかないんでしょうけど。ね、お役人たち?