「政治家の研修制度」とか「政策の抱き合わせを止めさせる」という考え


注意:今回めちゃめちゃ長いです。


先日、ミネさんという方からコメントを頂きました。(コメントはこちら)

「裁判官や弁護士、医師と同じように、政治家にも研修制度を設けてはどうか」

という考えに取り組んでいらっしゃり、北米にはこうした制度はないのでしょうかと訊ねられました。



知っている限り、北米にはこうした研修制度はないと思います。ただ、日本でも北米でも、たぶん欧州各国でも、大抵の場合、政治家になるには付き人として現役政治家センセイの秘書をし、その中で仕事を覚えていくのだと思います。

こう書くと、政治家もちゃんと下積みしてるじゃないか、と思うかも知れません。でも、これはあくまで「政治家としての振る舞い」を身に付けるものであって、支持者を得るにはどうしたらいいか、選挙に勝つには (または政敵を倒すには) どうすればいいか、カネを集めるにはどうしたらいいか、という「政治家にとって大切なこと」を身に付けるためです。国民はもちろん、自分の出身地の住人みんなの暮らしが良くなるにはどうするか、ではなく、どうしたら支持を取り付けられるか、ということです (たぶんですけど)。

さらに、今「流行り」の二世議員などは、はじめから先代の支持層を受け継ぎ、何もしなくても後援会からお金や票を集められます。逆に言えば、地方であればあるほど、支持母体は影響力のある議員センセイから離れられなくなり、嫌でも献金しないとなりません。「民主主義なんてどこの国の話?」という感じです。

まあ、これは多かれ少なかれ、どこの国でも似たようなもんでしょうけどね。



こういう状況の中で、政治家を国民の実際の生活の中にポンっと投げ出し、生きていくことの大変さを実感してもらおうという考えはすばらしい発想です。でも、やり方を間違えると、逆効果になりかねません。

ミネさんのコメントには、次のように書かれています (世論調査とのことです)。

-----引用始まり-----

-------- 民間視察研修法---------
「議員は、2年毎に10日間、低所得者と対話し、その生活実態の研修をする」議員本人が、10日間、10軒の低所得家庭に立入り、数時間会話をし、録画テープと報告書を提出する。(webでも公開)、応じて頂けた家庭からも、「詳細な報告書」を求め、それなり(数万円)の報酬を支払う。(氏名を除きwebでも公開、 視察相手の貧困家庭はNGOが選びます)

-----引用終わり-----

どうでしょうか? 論理的にはいいアイデアだと思うのですが、机上の空論的な側面もあるように思えます (決して否定している訳じゃないですよ。理念はすばらいしと思ってます)

(あくまで個人的な意見ですが) 直接貧困家庭の人と接して会話をするのはいいのですが、家庭にお邪魔するというのは現実的には難しいかと思います。もし自分が選ばれたら、中には「うちは貧困家庭じゃない」と言う人もいるかも知れません。散らかっているから偉いセンセイにはこんなところを見せられないと、家族の反対に遭うかも知れません。そして、「せっかくセンセイが来るんだから」と見栄を張ってしまい、実生活とかけ離れたキレイゴトしか話さないかも知れません。

逆に、報酬をもらえるのなら貧困家庭にでも何にでもなる、といって良からぬ考えを起こす人もきっとでてくるような気がします。訪問した家庭の人がそうでなくても、周りがそう嗾けたり、親族がたかったりとか。NGO が選定するとしても、そこまでは調べきれないでしょうし。

また、最初は理想に燃えた人たちがこの制度を運営していくにしても、制度が見直しのないまま続けば、仲介することで利を得ようとする人が出てくるかも知れません。そうなると、公平な意見を聞き取ることが難しくなるなど、偏りが出る可能性もあります。

なかなか難しいものです。



それよりは、いろいろな施設で障害者やお年よりのケアギバー (介護者) としての体験をしたり、高校などでの討論会を主催し、子供達の意見や疑問を直視する方が実践的かと思います。高校生相手に議論するのは、かなり勇気がいるはずです。政治に関心のある高校生なら、下手な政治家よりも行政をよく知っていますし、大人が遠慮して聞けないような鋭い質問もしてくるでしょう。二世議員など、話についていけない事があるかも知れません。

さらに、議論の場には、学校の先生や保護者、地域住民なども聴衆として参加し、そのセンセイ (または将来のセンセイ) の考え方を選挙の時だけでなく、普段の時に聞いておく機会とすれば、より開かれた政治につながるのではないかと思います。



ちょっと話がずれますが、個人的に、一般の人達の生活レベルを実感できない日本の政治家の最たるものは、消費税の掛け方だと思っています。北米では日本よりかなり高率の消費税がかけられていますが、生活必需品 (食料品など) は無税です。つまり、ゼロです。お米や牛乳買っても、税金かかりません。
貧しい人からも税金を「平等に」取る日本のやり方は、世界では通用しない税金制度
なんですよ。

パンや卵を買うのに、どうして車やパソコンを買う場合と同じ税率を払わなければならないのでしょうか? 出産するのに、どうして税金がかかるのでしょうか? 銀行の ATM で、「自分の」お金を引き出しても入れても、利用者だけが税金を負担するのはなぜでしょうか (手数料を取って儲けているのは銀行なのに)?

そういう議論がまったくされていないこと自体、税金とは何かを考えていない証拠だと思います。所詮、単なる金づるでしかないんでしょうね、政治家センセイたちには。つまり、一般の人達の生活レベルが分からないわけです。

こういうことを、これから議員センセイになろうとする人達に直接問い掛ける機会が欲しいですよね。センセイになっちゃうと、選挙の時だけ頭を下げて、あとはふんぞり返っているだけなんだから。だいたい、何で議員さんは「センセイ」なんでしょうか? そんなに偉いとは思えないですけどね。特にこの頃の悪行ぶりばかり目立つ政治家センセイは。



ちょっと軌道修正しましょう。

ただ、こうした研修制度が必要とされた場合、「こんな政治じゃだめだ! 俺が/私が今度の選挙でサラリーマンの/主婦の立場で立候補して、ガツンといわしたるでぇ!」 (最後だけ似非関西弁なのは見なかったことにしてください。つい勢いで。。。) ということが出来なくなっちゃいますよね。これも問題ありです。

開かれた政治にするための研修制度が、研修を受けられる「豊かな身分」の人でないと政治家になれなくなってしまうための、かえって政治家センセイに都合のいい制度になりかねない。

この辺りの兼ね合いを考えると、政治家センセイになる前の段階ではなくて、現役センセイにこそ、やってもらわないと意味がないような気がします。となると、現役センセイたちにそういう制度を作りなさいと求めるわけですが、そんな面倒なことを自分達で「やりましょう」なんて絶対に言うわけがありません。例え野党のセンセイでも嫌がるでしょう。結局、センセイであることの「旨み」が減ってしまうことをセンセイがやる訳ないんですから。



さて、話をミネさんのコメントに戻しましょう。

コメントには、研修制度のこと以外に「直接間接並存政治構想」についても書かれていますが、これも面白いアイデアだと思います。何かちょっと難しそうな感じですが 、要するに、政策の抱き合わせをやめさせようということだと思います (すみません、あまり詳しくはサイトを読んでないので違っているかも知れません)。

例えて言うと、マイクロソフトが売れ筋のソフトをばら売りせずにスイート製品しか売らなくなりましたよね。「WORD だけ新規購入したい」とか「EXCEL だけアップグレードしたい」と思っても、マイクロソフトは Office 製品をパッケージ化して、「ダメダメ、全部一緒に買わないとダメ。ケチケチしないでカネ払って全部買え!」と言って、抱き合わせでしか買えないようにしていることに、「それは良くないだろう!」と文句を言っているようなものです。

確かに WORD も EXCEL もいいソフトだと思うし、仕事で必要にはなりますが、全部を最新版にする必要はないんですよ。政策も同じで、自民党の政策の中にもいいもの (= WORD や EXCEL) はありますが、自民党の政策全部 (= Office パッケージ) がいいと言ってる訳じゃない。でも、自民党は数にものを言わせて (=圧倒的なシェアを悪用して) 全部を押し付けていて、いわば
「政策の独占禁止法違反」
みたいなもんだと思うんです。

具体的には、「憲法改正」とか「郵政改革」とか「美しい星50」とか「増税」とか、ぜーんぶを一緒にして公約 (政策) を掲げ、選挙で勝ったら都合の悪い政策も「だって投票したんだから賛成したんじゃん」と押し付ける自民党の得意技について、何とかしようよというのが「直接間接並存政治構想」の考えです (たぶん)。



実は似たようなことを「票の分配」という形で実現できないかとを前から個人的に考えていました。一人1票ではなく、一人に10ポイントの持ち点があり、そのポイントを好きな候補に好きな分だけ投票するというもの。もちろん、10ポイント全部使わなくてもいいし、誰か一人に10ポイント全部あげてもいい。候補者やその政策に対する、自分の賛成度を示すための方法です。

さらに、1票の格差が問題になっているので、地域間で格差を是正できるような「重み」を掛ける。そうやって、政策に対する全体の獲得ポイントによって、国会で議論をしていくというもの。どうでしょう? 悪くないと思うんですけどね。まあ、こんな仕組みをきちんと作り上げるには相当な時間とお金が必要になりますが。   (何よりセンセイ方が立ちはだかるでしょうけど)



でも、実はバンクーバーでは、一人の人が持つ一票を誰か一人だけに投じるのではなく、候補者に対して「この人には3分の1、あの人には3分の2」のように、賛同できる気持ちを分配して投票できるようにしてはどうかという議論が実際にあるんです。

バンクーバーでのこの考えを知ったのは割と最近ですが、原型となる考えは結構前から主張していたようです。残念ながらシステムの開発など現実的な問題から実現しそうにはありませんが、そういう議論が出るだけでも、意義はあると思ってます。日本でも「直接間接並存政治構想」のような議論が広まるといいですね。

何か、すごーく長く語ってしまいましたが、政治の素人でさえこれだけのことを考えられるんだから、プロの政治家センセイにはもっとがんばってもらいたいものです。誠意のある、熱く燃えるような、幕末の志を持ったような政治家が、また現れないでしょうかね。たぶん、いや、絶対無理でしょうね。領収書の書き換えが「正しく直すということ」とか言ってる人が首相やってんだから。   (ちいせーな)