いじめについてちょっと思う

日本では最近、「いじめ」による自殺が社会問題になっているようですね。いじめ自体は結構前から問題になっていたのに、学校や教育委員会や国が抜本的な対策を取らないでいたから、こうして悲劇が繰り返されているようです。しかも今回問題になったのは、教師がいじめに加担していたということで、呆れて物が言えません。この教師は、教育者失格はもちろん、人間として失格でしょう。そしてそれをかばった学校関係者も同じです。

実は中学の頃、いじめに遭いました。部活でほとんどの人から無視されたりしました。そのリーダー的役割を果たしたやつからは、小学校の時にも集団で馬鹿にされたりしたことがあります。その時、やはり誰にも相談できませんでした

幸い暴力は振るわれなかったのですが、精神的にはかなり追い詰められていました。勉強でもスポーツでも、そいつよりちょっと劣っていたし、口数の少ない方だったので余計に攻撃の対象にされたようです。

その時考えたのは「どうやったら馬鹿にされずに済むか」でした。答えは、「そいつより成績がよくなって、スポーツでも負けないようになればいい」でした。それで黙々と勉強を続け、いじめていたやつらよりも成績が上になるようにしました。小学校の時は、これでいじめから一旦開放されたのです。

中学になって何故か同じ部活に入ったため、またそいつの攻撃が始まりました。今度は他の部員を巻き込んでの「集団シカト」です。でも、悪態を疲れたり嫌がらせをされるよりはマシでした。直接関わらずに済むわけですから。そして、部活でもそいつよりいい成績を残すように努力しました。そして、個人でも県大会などに出ることもできるようになり、そいつはいくら頑張っても県大会に個人では出られず、少し大人しくなりました。

ラッキーだったのは、勉強でも部活でも、いじめていたやつよりいい成績を出せたことです。でもこれは、本当にラッキー以外の何物でもありません。成績がそいつより悪ければ、事態は悪化していたでしょう。でも、努力したことは無駄にはならないと思います。

中学を卒業してから何年も経って、あのいじめについて申し訳なかったと言ってくれた人が何人かいます。自分の身に降りかかることを恐れて、いじめを制することができなかったようです。その気持ちは分かります。同じ立場なら、やはりそうしたでしょう。だから、そういう人達には何の恨みもありません。むしろ、努力していることをちゃんと見ていてくれた人がいたということに、とても救われました

高校の部活でも、馬鹿にするやつが一人いました。そいつは、部活の成績はまったくダメだったのですが、自分のことは棚に上げて、とにかくみんなの前で人を馬鹿にします。部活でいい成績を上げても、それを「自分のことばかり」と言ってけなします。こちらはそういう事に慣れていたので、基本的に相手にしませんでしたが、いい気持ちはしませんでした。

でも、ある時部長が、「あいつは口ばっかりだ」と言ってかばってくれたことがあります。やはり周りの人はちゃんと見ているんです。

いじめをして楽しんでいる人、自分のむしゃくしゃした気持ちを晴らしている人が、世の中にはたくさんいます。周りも矛先を自分に向けられないように、それに同調します。でも結局は、いじめをしている人を心の中で見限っている場合が多いのです。そして、いじめを制することができない自分に罪悪感を感じたりもしていることがあります。いじめられている人と同様、周りの人も苦しんでいるのだと思います。

いじめられたことは、大人になれば、悔しさは残りますが過ぎたこととして笑い話にできます。長い人生からすれば、ほんの短い時間です。確かに地獄のような苦しみを味わうこともありますが、必ず終わりが来ます。今いじめを受けている人は、それまでの間、歯をくいしばって頑張ってもらいたいものです。苦しんでいるのは自分だけじゃないということを分かって、耐えて欲しいと思います。

そして、いじめをしている人は、いつかしっぺ返しを受ける覚悟をすべきです。必ず何らかの償いをすることになります。例え自分で気がついてないにしても、周りからはずっと白い目で見られていたりするんです。最後に笑うのは、いじめた方では、絶対にないんです

学校では、そういうことを教えてあげるべきじゃないでしょうか。いじめを受けた人が教壇に立てば、きっと苦しんでいる人の気持ちが分かると思います。教師の採用にしても、勉強が出来て人を小ばかにしてきたような人ばかりでなく (もちろんすばらしい人も採用されていますが)、苦労した人を積極的に採用すべきかと思いますが、悲しいかな、どうやらそういう様子は見られないようですね。まずは「成績のいい人」を採用するようです。

そういう教師が子供を教えている時代に生きる、今の子供達は可哀想です。