「核の議論」は必要か

ライス米国務長官との会談で、麻生外相が核について「いろいろな議論をしておくのは大事だ」と発言したそうですね。つい先日は、自民党の中川政調会長の「核保有の議論はあっていい」発言が論議を醸したばかりですが、麻生さんはどういうつもりでしょうか。

この会談については、海外でもかなり注目されています。カナダ国営放送ではトップニュースでこの内容を伝え、在カナダ日本大使からライブ中継で直接話を聞いていました。その中で、日本の核保有についてもやはり心配している感じが見られました。

と言いながら、実は麻生外相の意見にも一理あると思っています。だって、「いろいろな議論」というのは、「核を持つか持たないか」ということではなく、「隣国の核武装にどう対処するか」という意味な訳ですから。周りがどんどん核を保有しているのに、「日本は非核三原則に法って何もする気はない」というのでは、有事の際に慌てても間に合いません。実際に、すぐ近くの国が国際批難を無視して核実験やミサイル実験をしているんですから。

(ちなみに個人的には、核保有絶対反対です。恩師が被爆者であり親類を亡くしておられ、その時の惨状を直接聞いたこともあるし、広島の原爆ドームにも行ったことがあります。あんなものは絶対に作ってはいけません。)

ただ、日本としてどうするかという話では、もう1国では対処できない状況になっています。国際的な取り組みは元より、中国やロシア、韓国などと個別に協力関係を結び、保有国のイギリスやフランスとも核攻撃のシナリオなどについて話を聞くべきでしょう。北朝鮮問題に限っては、核攻撃や核テロリスト (こちらでは「Nuclear 911」という言葉も聞かれます) が行われた場合に、どうやって国民を守るのかを議論すべきだと思います。

アメリカやイギリスでは、テロに備えて国民をどう守るかが政治議論の中心になっていますよね。日本も、地震の際にどうするかを定めた法律を参考にして、国や自治体、民間レベルの組織を巻き込んだ統制が取れるように議論されるべきじゃないでしょうか?そういう意味で、麻生発言は一理あると思うんです。ただ、本人が実際にここまで意図しているのかどうかは分からないですけど。

それにしても、海外から見ていると日本はのん気だなと感じます。制裁をするのはいいですが、有事の対策は全部アメリカ頼りじゃないですか。いいんですか? 21世紀になって日本では戦争なんか起きるわけがないと思っているかも知れませんが、世界中で戦争は起きています。こちらから仕掛けなくても、仕掛けられたら闘うしかないんですよ。それともすぐに降伏して、誰かの助けを待ちますか?

政治家は危険な情報に一番近いですから、何かあればすぐに逃げられます (第二次世界大戦の時がそうでした)。でも国民はそうはいきません。だから、いざとなればどうにかなると考えている政治家に全部任せるのではなくて、国民が声をあげないといけないんじゃないかと思うのですが。。。

でも無理そうだなぁ。一般レベルでそこまで考えている人が大勢いるとは思えないですよね。平和ボケっていうのか、危機感なさすぎです。みなさん、気をつけてくださいね。