SOS を軽視しないこと

今日の朝日コムに、廃棄された遭難信号発信機のスイッチが何らかの理由で入ってしまい、海上保安庁などが救助のために出動するもゴミの山にたどり着いた、という記事がありました。まったく人騒がせな話です。こういうことが起こると、SOS 信号を「どうせまた間違いだろう」と、きちんと対応しなくなるのではないかと心配です。

実際、その心配が実際にカナダで現実となっています。



2月24日、来年のオリンピック会場でもあるウィスラーの隣にあるブラッコム山で、モントリオールからスキーに来ていて遭難した夫婦をレスキュー隊が見つけました。発見時、奥さんはすでに死亡しており、ご主人は凍傷にかかっていました。

実はこのご夫妻が遭難したのは2月15日のことです。17日と21日には地元のスキー会社やスキー客などが SOS 信号を受信し RCMP (カナダ山岳警備隊) などに通報していましたが、救助活動が行なわれることはなく無視されていました。そして22日にヘリコプターが3度目の SOS 信号を受信し、ようやく救助活動が始まりましたが、この日、すでに奥さんが亡くなっています (身内の証言では22日に死亡したとも報道されています)。翌日24日、遭難してから9日目になって、ご主人だけが助け出されました。

このご夫妻はベテランスキーヤーで、遭難した場合の対処法も心得ており、雪でなかなか届かなかったものの、SOS 信号を何度も発信していたと思われます。シェルターを作り、寒さから身を守ることはもちろん、寒さよりも危険な狼からの攻撃を避けるため、スティックを武器にするほどサバイバル術に長けていました。しかし、レスキュー隊が SOS 信号を無視したため、狼がうろつく山中をむやみに歩き回るわけにもいかず、悲劇に襲われる結果となったのです。

RCMP は今はミスを認め謝罪していますが、当初は正当化する声明を出すなど、日本の政治家のように保身に走っていました。こうなると、政治家も警察も、何もかも信用できなくなります。自分の身は自分で守るしかないですね。

今回 RCMP の初動が遅れたのは、これまでも SOS 信号を受けて救助活動をしたものの、結局誰も遭難していかなったことが何度かあったからのようです。つまり、間違いの SOS 信号が何度も受信されれば、だんだんとそれを深刻に受け止めなくなる可能性があるということです。



日本のこの記事を見て、カナダの悲劇が繰り返されなければいいと思いました。そのためにも、遭難信号発信機の (破棄を含めた) 扱いにはもっと慎重になってもらいたいし、中学や高校の授業などで教えておくべきことではないかとも思いました。

でも、そういう動きはきっと、日本ではないんでしょうね。だからこそ、いろいろなサバイバル術を身に着けておかないと、これからは生き残れないかも知れないなと、つくずく感じます。



そして、SOS は、こうした遭難時だけに出されるものじゃありません。いじめや生活苦、介護疲れなどで助けを求めている人が出しているものもあります。それに気が付くか、気が付いて何かをしてあげられるか、そのことが SOS を出している人の運命を決めてしまうんです。生死を分けることさえあります。おにぎりを食べたいと携帯のメッセージを残して亡くなった方もいました。病気で倒れたまま誰にも気づかれることなく、死亡した後で見つかった飯島愛さんのことも、SOS に誰も気づかなかったために起きた悲劇です。

何か周りで「おかしいぞ」と思うことがあれば、気遣いをしてあげられるような人間でありたいものです。でも、そういう人間付き合いは、今の時代、あまり望めないかも知れませんね。

悲しい時代に生きているんだなと、ちょっとさびしくなりました。